やりたいことがない方が良い?
10年くらい前から「やりたいことは何?」なんて、
やりたいことを見つけて、それを実現することこそが素晴らしいと思われてきた。
だから、会社に嫌々勤めているよりも、独立起業する方がかっこいいとか
どこか思われてきたかもしれない。
そんな私も、探すことなくずっとやりたいことを追いかけて生きてきたように思う。
ちょうどコロナが始まる前あたりまで・・・
私は音楽を十数年続けてきたけれど、
コロナをきっかけに音楽活動が停止になった。
コロナのせいで・・・ではなく
もしかしたらコロナのおかげで・・・かもしれない。
コロナのおかげで、十数年にも及ぶ毎日の練習から解放された。
というか、自分を解放した。
1日でも休むと3日後退するという「古いアレ」を信じていた。
だから、父が亡くなった日も休むことなく練習を続けてきた。
でも、演奏会もコンクールも開かれないなら休んでもいいや。と思えた。
今も本当に歌うことを考えただけで心が躍る。
安らぎや美しさを表現できることにうっとりする。
今思い返すと、間違った理由で正しいことをしていたのかもしれない。
認められるために歌ってしまっていた。
やりたいこと。
やりたいことで自分で思いつくことの99.9%が
世の中の洗脳だったり過去からきたものだったりする。
過去からきたもの。歴史を繰り返すだけのもの。
今、少しずつ風が変わってきて、
やりたいことに向かって、その実現を目指していくことが素晴らしいというよりも
今この瞬間を喜んで生きて、それが織りなす未来を目撃していくような生き方の方が
より真実に近いと気がつく人が増えてきているように思う。
そう考えると、やりたいことがないというのはとても好都合だ。
やりたいこと=執着になってしまうと、自分を苦しめるものになってしまう。
私が歌うことに対してそう思っていたように・・・
コロナが始まった時、私は歌を手放すことができた。
どこかほっとした。
私だけが置いていかれる。キャリアを積めない。と日々焦っていたところから
みんなが停止を余儀なくされたから。
今、絶対にこれを実現したい。こうなりたい。
そういうものが無くなった。
今、していて楽しいことだけをする人生なんてこれまでなかった。
いつも何かを目指していたし、その実現こそが楽しみで
輝かしい未来のために生きることしか楽しみがなかった。
今に楽しみを見出すことなんてできなかった。
劣等感と無価値感でいっぱいで、今を楽しむ余裕なんてなかった。
今思うと、やりたいことがあると、今はやりたいこと(未来)のための
今になってしまうような気がしている。
今が未来の準備になってしまうということ。
それが悪いわけではなくて・・・
未来というのは今の延長線上にしかない。
この宇宙は今が延々と延長されていくようになっている。
だから、今、自分が不十分で欠けているからその自分をなんとかして
未来の自分を素敵にしようったってそうはならない。
未来を本当に変えたいのなら、今、変わるしか道はない。
今=未来だから。
起点は過去ではなく、今。
未来の幸せのために今、自分が何かの犠牲になっているのなら、
未来も犠牲になっている。
やりたいことがないこと=今、本当はすでに満たされているから
かもしれない。
やりたいことがないのは、もう癒されてきているので
何か素敵なものをゲットすることで自分に付加価値をつける必要がないと
わかりはじめているからかもしれない。
それは自分にしかわからないけれど・・・
私たちは、今、幸せでいることだけに責任を持てばいい。
今までは将来どうする?とか将来のことを考えて今を我慢する方が責任感があると思われてきたかもしれない。
でも、誰もが知っている通り、どれだけ未来を安全なものにしようとしても
それは不可能だったことは大きな災害などを通して学んできているはず。
今幸せでいることができれば、その延長の未来は幸せに決まっている。
やりたいことはなくてもいい。
美味しいスイーツを食べて、漫画を読んで笑っていてもいい。
今、幸せでいたらいい。