自分の人生は100%自分の思い通りになります

変わりたくても変われない、人生変えようとしても変わらないのはなぜ?

どうやって人生フィルムを書きかえるか?②

 

通常の潜在意識の書き換えというのは

たとえば、お金に困っている方が「私は十分なお金持を持っている」みたいに書き換えて

現実の自分がお金持ちになるようにするとか、いろいろあると思います。

 

 

 

この時、どんなフィルムが出来上がるかというと

「お金は持つことができるがいつもお金の不安は消えない」とか、

「お金を持つことができるけれども、その収入を維持することが大変」とか、

そういう分裂したストーリーのフィルムなんですね。

 

 

 

何かを願うというのは、「それが私にはありません」

というフィルムを作り出すことだからです。

 

 

 

いっぱい持っているものを、誰も欲しがらないですよね。

どこにでもあって、その辺に満ち満ちているものを誰が願うでしょうか?

どれだけでも手に入れられることについて潜在意識を書き換えようとするでしょうか?

 

 

 

そういうことも全て、私たちの潜在意識は読み取っています。

ないから欲しいと思っている。

つまり、ない、と思っているんだね。

そうか、ない、が欲しいんだねって。

 

 

 

私たちはそういうことを人生でずっとやってきているんですよね。

 

 

 

だから、正常な状態(豊かで愛に溢れた状態)にするために

フィルムを書きかえるには

信念と、欲求とを対消滅させることが重要になってきます。

 

 

 

たとえば、

働かないとお金が得られないし、けれど自分には取り柄がない、

という信念を持っているとして・・・

 

次に問うのは、

 

「では今、自分はお金がないから何を人生に期待しているのか、何が欲しいのか」

を見ていきます。

そこで、自分は自由に使えるお金がたくさん欲しい と思っているとします。

 

 

 

そうしたら、その自由に使えるお金がたくさん欲しい という思い自体を

手放す必要があります。

なぜなら、「自由に使えるお金がたくさん欲しい」と思っている状態のフィルムは、

「お金が足りない」というフィルムだからです。

この辺の感覚、掴めますでしょうか?

 

 

 

どうしても何かが欲しいと思っている時、

それが足りない、それがない。というフィルムを自ら採用しているということなんです。

どうしても何かが欲しい時、それが足りていないフィルムを創ってしまう。

そういう人生を見てしまうのです。

 

 

 

よく、執着を手放すと入ってくる。

とか言いますよね。

 

心が、それがなくてもあってもいいと、なった時、

フィルムの中にあった、それが「ない」というストーリーが消えるんですよね。

欲しがることをやめるので。

 

 

 

結局、本当に欲しいものを手に入れるには、

欲しがることをやめるということなんですよね。

 

 

 

それは、全て諦めて、清貧の誓いをしなさいという意味ではありません。

 

大切なのは、欲しがることで欲しいものを遠ざけてしまうことに

常に気づいていることだし、

不足にフォーカスが当たっている時

そういうフィルムを人生上に上映し続けるということに気づくことなんです。

 

 

 

例えば、お金が問題の場合、

お金の心配やお金のために自分を犠牲にしなければいけないと思うのではなくて、

自分が本当に望む経験にフォーカスを当てるということです。

心の経験ですね。

 

 

 

その経験は何かというと、

安心したいということであるかもしれないし、

もうこれ以上「自分は人に比べて劣っている」と思わなくて済むようになりたい、

ということかもしれないし、

自分には価値があると感じたいということかもしれません。

 

 

 

 

多くの場合、「このままの自分で全ては大丈夫だと安心したい、今もこれからも」

というほっとした感覚が欲しいというのが本音ではないでしょうか。

もう頑張らなくていい、そう安心していたいのではないでしょうか。

これ以上もう自分をよくしなくていい、と感じたいのではないでしょうか。

 

 

 

私たちの多くは、お金にしろ、地位にしろ、人に自慢できるような何かにしろ、

それさえ手に入れば自分は足りていないとか、自分は劣っているとか、

自分には価値がないとか、そういう思いから自由になれると思ってきたんですね。

 

 

 

だから、頑張ってきた。

 

でも、その頑張りは何かというと、怖れから生まれた頑張りであるし、

怖れから生まれた願望なんですよね。

怖れから生まれた、不安から生まれた、無価値感から生まれた願望を

実現しようとしても、それが行動にしろ、潜在意識を使うにしろ、宇宙にお願いするにしろ

その怖れのフィルムを回していくということなんですよね。

 

 

 

もう、怖れのフィルム入いらない、と思った時。

 

怖れのフィルムを手放して、愛や豊かさ、本来の自分のフィルムを生きたい

と思いますよね。

 

特定の願望を持たないということが

そのまま、大いなる自己、無限の自己を発動させて

愛や豊かさのフィルムを生きるということなんですね。

 

 

 

そして、本当のことに気がつくことですよね。

今の自分で、生きていくことにも困らないし、愛だっていっぱい受け取れるということに。

元々、自分はどこも壊れていなかったということに。

無罪だということに。