自分の人生は100%自分の思い通りになります

変わりたくても変われない、人生変えようとしても変わらないのはなぜ?

自分を愛することが難しい時に思い出したいこと

私たちの自我の中には当たり前のように「愛されたい」という

気持ちがあると思います。

 

 

 

幼少の頃からこうした気持ちを持ち、

いつの頃からか、愛されるために自分を相手に合わせる。ということをし始めます。

 

 

 

気がついたら、自分は自分ではなくなっていた・・・

なんてこともあるかもしれません。

 

 

 

幼少の頃から、親の期待に応えるためにありのままの自分を削り、

学校という社会に合わせるために自分を削り、

恋人に愛されるために自分を削り・・・

 

そうしているうちに自分が誰だったか

本当に好きなものはなんだったかも忘れ、

不適応感だけが残っていく・・・

 

 

 

そういう中でほとんどの人は生きてきました。

自分の本心を忘れ、感じないようにして生きてきて

自分の中心と外れて生きてきた自分を愛しなさいと今更言われても

無理です。それは自然です。

 

だって、本当の自分の声を無視して周りの声を聞いて生きてきて

周りの期待が今の自分を作り上げたと言ってもいいかもしれません。

そんな自分にYESといえないですよね。

普通です。

 

 

 

そう考えていくと、今の自分、この自我の自分は自分ではなく

周りが創った自分ですね。

それをペルソナ(仮面)と言ってもいいですね。

 

 

 

私たちが、ありのままの自分を受け入れて愛するために

何かを実現していたり、できていなかったり、ダメだと思う部分だったり

いいと思う部分だったり、そういった部分を自分自身だと捉えすぎないことが大切です。

それもペルソナです。

 

 

 

何が良くて、何が悪いかという基準も世の中や他人が与えたものに過ぎません。

それに合うか合わないかで自分をいいか悪いか判断するのはおかしくないですか?

 

 

 

どれだけ成功していても、自我の自分の方を自分だと思っているかぎり

その自分を丸ごと愛そうと思っても、その価値を認めようと思っても不可能です。

なぜなら、自我とはそういうメカニズムでできているからです。

 

 

 

そして、その代わりに、本当の自分という神の位置から

全ての自分の特徴を見つめてみてください。

外側から自分の人生を見る感じです。

 

その自分は、自分でそうなったのではなく

恐竜がいた頃から、DNAとして、続いてきた先祖代々の歴史の結果として、そこにあります。

性格も肉体的な特徴も自分で自分がそうなったというよりも

自分が親から生まれて、その親は祖父母から生まれて、祖父母は曽祖父から生まれて・・・

その人たちがどこで暮らして、何を体験して、どういう影響を受けて・・・

全ての歴史の結果が自分です。

 

歴史の物語の1つのページとして自分の物語、自分という登場人物を見つめてください。

 

大変な中、一生懸命にやってきたな・・・って

愛おしさが湧いてきませんか。

 

 

 

自我の自分は自分で思っているほど、自分人生をコントロールできません。

自我の中に入っていると、自分でコントロールできたはずだと思いますが、

ほとんどのことは自然にそう考えるようになって、そう行動するよう

プログラミングされていると考えても良いです。

ちなみに、好きな食べ物、好きな飲み物なども

ほとんどが親の影響を受けていると言います。

 

 

 

誰から生まれて、どこに住み、どんな環境で育って、

どんな学校でどんな先生から教えを受けて・・・

そういう中で自分という自我が育まれてきているので

ほとんど自分では選べていなかったのです。

 

そうなることは決まっていたのです。

そして、決まっていた物語として客観的に自分を外から見つめてみてください。

よくやってきたじゃん。しか出てこないのではないでしょうか。

 

 

 

自分を受け入れられないのは、別の選択肢もあって

自分の努力でそれが実現できたはずなのにじぶんはできなかった。

しなかった。そういう思いがあるからかもしれません。

でも、無理なのです。この物語はそうできてはいなかった。

初めからそうなるようになっていたんです。

 

なんのために?

 

 

 

自我のゴールは自分に罪悪感を持たせるためでした。

自分の素晴らしさを忘れ、自分を憎み、劣等感や欠落感を感じることがゴールです。

もし、自分を愛することが難しいのなら、

自我の作戦が成功したということです。単にそれだけだったんです。

自分が悪いから、至らなかったから、努力不足だったから、

自分を愛することが難しいのではなく、自分を愛さないでいられるようにすることが

この自我が作った自分の歴史の目的だったのです。

 

 

 

自分を愛するというのは、自我は自分でなかったと目覚めることです。

自分だと思ってきた自分とは、DNAと代々続く歴史が作り上げた虚構です。

それは自分ではありません。なんでもありません。

周りに創り上げられてきたペルソナです。

それは自分ではないので、それを愛そうとする必要はありませんが、

本当の自分に気がつくと、自分は愛だと気がつくので、その愛が自我の自分にも広がります。