自分の人生は100%自分の思い通りになります

変わりたくても変われない、人生変えようとしても変わらないのはなぜ?

自分の面倒は自分でみなければならない?

私たちの古い基準に「なんでも自分でできることが素晴らしい」があると思います。

 

 

 

ですから、自立することが素晴らしいというわけです。

 

 

 

私たちはある年齢にまでくると自立を促されます。

自分でやりなさい。そんな風に教えられてきましたよね。

 

 

 

だから、「自分でできる」ということは素晴らしいことだし

「自分の力でこんなことを成し遂げた」という経験をすれば誇らしく感じるわけです。

 

 

 

自我は自我の力で何かを成し遂げることが素晴らしいと思っています。

しかし、自我が目指すよう促す目標は馬の前にぶら下げたにんじんのようなものです。

決して満足しないものを目指すように仕向け、

決して手に入らないようにやりくりします。

探しなさい、でも見つけてはならない。それが自我の常套手段です。

 

 

 

人生の初めの方は、自分でやるからこそ楽しいんだ。

だからこそ、自分には価値があると思えるんだ。

と自我が考えるように仕向けます。

しかし、自分でやろうとしてもうまくいかないし、うまくいったと思っても

それを維持するのが大変すぎて心は悲鳴をあげるなんてことはしょっちゅうです。

 

 

 

私たちは自分で自分の面倒をみなければいけないと思ってきたから

人生が大変だったんです。

 

 

 

自分でやらなければ、じゃあパートナー?親?に面倒を見てもらうってこと?

と思う方いらっしゃるでしょうか。

 

 

他人に依存するのではありません。

 

 

他力本願。

そういう言葉があります。

 

 

 

他力本願とは他人頼みという意味ではありません。

 

 

 

大いなるものにお任せするという意味です。

 

 

 

自我でもなく、他の人でもなく、自分のうちなる神(愛)にやってもらうということです。

 

 

 

自我のやり方をやめなければ、

神に面倒見てもらうことはできません。

 

 

 

自分でやるのをやめると、神に面倒を見てもらえます。

 

 

 

私たちはお金によって支えられているのではなく、

心の中の愛によって支えられているし、

まず自らがそう生きなければ、

世界からもお金を搾取しようとする存在はいなくならないでしょう。

 

 

 

陰謀を企て、お金を吸い上げる支配者がこの世にいるとすれば、

それは自分が未だお金に支配されているからです。

お金が自分を支えてくれる、そのお金は自分の力でなんとか準備しないといけない。

そう信じているからなのです。