自分の人生は100%自分の思い通りになります

変わりたくても変われない、人生変えようとしても変わらないのはなぜ?

正しいか間違っているかの判断はどうしたらいいか?

私たちは日々の暮らしの中で、これであっているのか、

間違っているのか?

そういったことに気がついていないところでこだわっていたりします。

 

 

 

自分の言ったことは正しいのか、自分の行ったことは正しかったのか?

正しくあることに必要以上にこだわってしまう人も多いかもしれません。

 

 

 

なぜなら、自分では気がついていなくても人間の意識の奥深くに

次のような信念が浸透しているからです。

 

それは・・・

 

 

正しくなければ愛されない

 

 

 

という思いです。

だからこそ、自分が言ったことと相手の言ったことが異なると

どっちが正しいかを議論したり、違う意見の人を攻撃したり、

間違えることに必要以上に罪悪感を感じたり

恥を感じたりするんですね。

 

 

 

正しくなければいけない。正しく生きなければいけない。

そういう思いを持って、

間違ったことをしているかのように見える人

(ただ単に自分の常識とは違う行動をとる人、考え方をする人たち)

を裁いたりするのですね。

間違ったように見える人を正したくなるのも、

実は自分に間違えることを許せていないからなのです。

 

 

 

コロナ禍で流行った自粛警察は、いい例かもしれません。

自分の信念に従っていないもの、外れるものを厳しく罰する。排除しようとする。

私たちの自我は暴走するとそこまでいきます。

罪悪感が強いほど、自分に禁止していることが多く、

自分が我慢していることをしている他者を裁きたくなってしまうのです。

 

罪悪感が強いほど、罪悪感をこれ以上感じたくないので

正しさにこだわります。

 

 

 

そして、世の中には、いろいろな基準があります。

母なら、父なら、子なら、社員なら、上司なら、友達なら、恋人なら・・・こうすべき。

そうやって、自我が作った基準に相手や自分を当てはめて

それに満たないと自分を責めたり、相手を責めたりしています。

 

 

 

つまり、基準に合っていること=正しいこと=善

基準に合っていないこと=間違ったこと=悪

 

というわけです。

だからこそ、基準に合わない自分に強く罪悪感や恥を感じてしまうのです。

 

 

 

でも、間違っているか正しいかというのは実は世の中にはないんですよね。

役割によって、こうすべきという基準なんて外側には無いのです。

 

 

 

よく、機能不全家庭で育った・・・と言われますが、

人間の自我自体が機能不全なので、世の中のほとんどの家庭も企業も機能不全ですし

この世界自体が機能不全です。

 

ですから、私たちが考えている「正しい基準」=単なる期待

なわけです。

そうであったら自分にとって都合が良いということですね。

相手がそうであったら自分はもっと安心できるのに、心地いいのに・・・

といった期待です。

 

 

 

世の中のこうあるべき。というものは、

そもそも自我(エゴ)が作り上げた「罪悪感」と「不十分さ」を感じさせるための

ルールです。

 

 

 

人間が自分や相手を責めて分断させるようにできている、ルールなんです。

いつも罪悪感と不十分だと感じていてほしい自我が作り出したルールです。

普通は、とか、常識とかはみんなそうです。

 

なぜ、自我はそんな物を作り出したのでしょうか?

自分が神だということを思い出して欲しくないからです。

 

 

 

ルールは「自らの心のルール」があるだけです。

一人一人の中心に本当はルールはあります。

自分を愛する、愛というルールがあるのです。

愛というルールに沿って生きている時、

自分にとってだけではなく周りの人にとっても正しいことが起きています。

それが正しい場所にいる証拠です。

 

犠牲や我慢を感じているのなら、それは他人のルール、他人の正しさを生きている時です。

世の中で正しいように見えたり、常識に沿っているように見えても

自分が苦しくなっているのなら自分にとって間違った場所にいます。

 

 

 

自分の中の愛のルールに従っている時、自分だけではなくて

周りの人も必ず幸せになります。

 

 

 

「わたし」にとって本当に良いことは、周りの人にとっても本当に良いことです。

 

 

 

だから、自分の真実を後回しにして他人や世の中の基準を生きるとズレてしまいます。

 

 

 

自分が正しい位置にきて初めて、みんなも正しい位置に着くことができるのです。

 

 

 

私たちは、自分の中の愛のルールで生きることに慣れていないかもしれません。

自分を犠牲にしないこと、我慢しないことを

初めのうちは、わがままで勝手なことと思ってしまうかもしれません。

けれど、そう思わせているのが自我なのです。

 

 

 

他人、世の中、常識というのは全て自我のルールです。

それに従っても誰も幸せになりません。

ちょこっと、一時的に表面的な成功をしたように見えるくらいです。

 

 

 

正しいか、間違っているかの基準は自分のハートにしかないのですね。

 

周りの人、親などに自分は正しいと思ってもらえる選択肢は・・・なんて

間違っても考えないでください。

自分を愛することを貫く強さを持ってください。

他の人に受け入れられようと自分を犠牲にすると、自分を裏切ります。

 

 

 

他の人の基準ではなく、自分の中の愛を選ぶと、その愛によって扉が開きます。

人生のフィルムが怖れではなく、愛に切り替わります。

見える世界が異なってきます。

自分の基準を選んだ、その愛と優しさが人生に広がっていきます。