自分の人生は100%自分の思い通りになります

変わりたくても変われない、人生変えようとしても変わらないのはなぜ?

持っていると思っているものしか受け取れない

与えることと、受け取ること。

 

与えることの重要性が書かれている本は数多くありますが、

受け取ることについて詳しく書かれた本はあまりないと思います。

 

 

 

私が思うに、受け取ることが本当に上手な人というのは

あまりいない気がしています。

 

 

 

受け取ることが上手というのは、うまいことを言って

相手から引き出そうとしたり奪い取ったりすることとはもちろん違います。

 

 

 

弱者のふりをして施しを受けることとも違います。

 

 

 

最近、妙に納得したことがありました。

 

空っぽだと思っている自分がいたとして、

その自分を満たすために外側から何かをとってきて増やそうとしても

決して増えることがない、ということです。

 

 

わかりやすくいうと、

 

異質のものは受け入れられない

 

とでも言いましょうか・・・

 

 

 

豊かだと感じているところにさらに豊かさがやってきて・・・

 

というのが受け取るということなんですね。

受け取り上手の状態の時は、すでに十分豊かさを感じている状態です。

 

 

 

でも、自分は貧しい、愛されない、自分は不十分だというところに何がやってきても

受け取ることができないんです。

そして、受け取ることができないからそれに抵抗してしまう。

しっかり受け取ることができないから、もっと頂戴となってしまう。

形としては受け取ったように見えても、心が愛を受け入れられないという状態です。

 

 

 

なので、本当に受け取れるのは

自分の中に全てがある(源と繋がっている)と思っている時しかないんです。

残念だけれども、外側から自分を満たすことはできないんです。

※自我の状態にいると、愛が脅威に移り、愛は異質なので受け取れないんです。

(※自我の状態とは自分自身とは限りある身体だと思っている思考・不十分な自己)

 

 

 

私たち自身がすでに自分が愛の状態であったり、豊かな状態でないと

それ以上互いの中で増えていくことはなく、

互いが自らを足りないと思っている時は、単に取引をして満たされることなく

傷ついたり、罪悪感を感じて終わりになりかねないのです。

 

 

 

愛の状態であったり、豊かな状態というのは

パートナーがいるとか、家庭が円満であるとか、

お金持ちであるとか、自分に自信が持てているとか、

ましてや子供の頃に親に愛されてきたからなどとは全く関係がなく、

自分の本質である内側の神と一体であることを思い出している状態だといえます。

 

 

 

これは無理に自分は神の子であるとか、自分は神だと信じ込もうとすることではないし

自分が神だと信じ込もうとすることは、

そのまま「自分が神だとは信じていない」ということを刷り込むことなので、

まずは「自分は誰であるか本当に思い出したい、助けてほしい」そんなふうに

内なる神にお祈りする、お伝えするのが良いと思います。

 

このお祈りをしている時、

その瞬間は愛と豊かさにフォーカスを向けていることにもなります。