生き延びるために生きるのか?命を表現するために生きるのか?
私たちの世界というのは、
どこに焦点を当てるかで自分がする体験が異なってきます。
焦点を当てたものが人生に増えていく。
動機=結果 そんなお話は何度かこちらのブログでも書かせていただいています。
私たちには貧しい生き方と豊かな生き方と二通りの生き方があると思います。
つまり、生活費や支払いのお金を稼ぐために仕事をしなければという生き方と
自分の中にあるものを分かち合って、表現して与えて、そして受け取る。という生き方と
大まかに分けて二つの方法があるということです。
以前、書きましたが、「仕事」というのは怖れ(不安)から生まれている概念です。
お金を得るためにはどうしよう・・・という動機から生まれているからです。
これはお金を欲しがってはいけないということではなくて、
自分が空っぽである、足りない、もっと必要な存在だと認識しているところから
スタートしている部分が問題だということなんです。
お金をベースに考えると自分が制限されていきます。
次に、自分は何を表現したいのか。という観点から生きる生き方です。
自分は何を表現したいのか分かち合いたいのか?の前提は
自分の中には「ある」が前提です。喜びがそこにはあります。
そして、常に具現化されていくのはこの意識の中の「ある」なんですね。
自分の中にある。それを出す。そして与えたところに器が出来上がって受け取る。
その自然な流れです。
豊かさとは自然な流れであって、取引ではありません。
仕事は取引です。
これだけ与えたのだから、これだけください。
豊かさが循環している感じではないですね。
自分の中にある命(愛)を表現するというのは、
神の望みでもあります。
それは、神(宇宙)の手足となって働くということです。
そして神(宇宙)はわたしたちをさまざまな形で養ってくれるんですね。
愛を表現して、愛を受け取って生きていく。
それが多くの人の望みではないでしょうか。
私たちが何を体験するかは自分で選ぶことができます。
生存を第一に考えて怖れの世界を生きるのか、
愛を表現し、分かち合い、愛の世界を生きるのか。
私たちは選ぶことができるのです。