自分の人生は100%自分の思い通りになります

変わりたくても変われない、人生変えようとしても変わらないのはなぜ?

問題は問題ではなかった?

私たちが使える思考パターンには2つあります。

 

 

 

この自分を自分だと思っている思考パターン(古い)と、

自分は神だと思っている思考パターン(新しい)のふたつ。

 

 

 

古い思考パターンはいままで私たちがずっとやってきたもので

その思考回路は問題探しというのが得意です。

 

 

 

いつも人生に何か問題がないかを探し続け、

それを解決することでひとまず安心する。

何か問題があると自分が脅かされると思ってしまっているからですね。

サバイバル脳と言ってもいいかもしれません。

 

 

 

生き残るために使ってきた思考パターンです。

 

 

 

多くの人はこちらの思考パターンを使っているので

問題、欠けている部分、不十分なところにばかり目がいき、

そして、それを修復すること、満たすことに人生のほとんどの時間を使っています。

PDCAを回す。とかよく言いますが、そういうことですね。

 

 

 

そう考えてみると、批判、非難というのも、この脳の使い方においては

自然なことなのかもしれません。

 

 

 

もう一つ。新しい思考パターンの方は愛がベースになっています。

この個人的な自己を超えています。

そして、全てが良きことのために起こっていることをわかっています。

なので、何か問題に見えるようなことが起きた時、

自我の自分でもって何とか解決しようと奔走しません。

 

問題だと思うことが目の前で起きた時、

その出来事が起点となってもっと豊かな自分や周囲の世界、

もっと愛に溢れた限りの無い世界を見られる、原因にすることができると

思い直すことができるからです。

 

 

 

問題に見えることが起きた時に、

それを自分の力で解決しようとして抵抗したり、戦うのか、

または、それを扉としてここからより豊かな本当の世界の方を見たいと望むのか。

どちらも選ぶことができます。

 

 

 

ちなみに選ばなくても、

全ては良きことのために起こっています。

どんな良きこと?

本当の自分に目覚めるために、全ての出来事は起こっています。

本当の自分がどれほどに素晴らしく、愛に溢れ、完全で欠けることのない存在。

そう気がつくことに全部が起こっています。

そう思えばそうなる・・・

というわけではなくて、私たちのこの身体の人生はそうできています。

 

 

 

そう考えていくと、そもそも、

「問題というのは存在しない」 ということになりますね。

 

 

私たちの古い思考パターンは、

問題を放置するとさらに大変なことになる、

取り返しのつかないことになる・・・

そんな風に頭の中でおしゃべりを続けます。

だから、怖くて自分で何とか動いて何とか解決しようとしてしまうんですね。

 

 

 

そうすると、「本当の問題」の方に目を向けなくて済むからです。

目の前で起きる問題のように見えることは全て

この「本当の問題」に盲目であるようにするためかもしれません。

先延ばし作戦なんですね。

 

 

 

問題そのものが目覚めに連れて行ってくれるけれど

スローペース。

でも、本当の問題を見る、つまり「私とは誰であるかを忘れてしまった」という

真の問題と取り組めば、問題はそこで終わります。

 

 

 

見ている世界に問題はありませんでした。

問題は自分が誰か忘れた。ということであって、

その誤った自己認識から全ての問題が世界に映し出されたということだったんですね。