自分をもっと良くしたいと思った時①
私たちは子供の頃から気がつけば自分をもっと良くしなさいと
言われてきました。
足りないところを指摘されて、
それを改善することに取り組んできました。
ここがダメ、ここがもっとこんな風になれば・・・
日々の振る舞いはもちろん、勉強や習字でも、楽器の演奏でも、絵画でも、部活でも・・・
学校だけではなく、家族の中でも、夫婦間でも、親子の間でも・・・
もっとこうなりなさい。
もっとこうなって。
そんな風に、他の人にも自分にも「より良くなること」を求めてきたと思います。
でも、一つが改善されたかと思いきや
また気になるところが出てきたりして・・・
エンドレスなんですよね。
なぜなら、問題を見つける自我の働きが弱まらない限り
問題は現れ続けるからです。
一人の人との問題が解決したかと思ったら
今度は別の人との問題は発生した・・・なんてしょっちゅうだと思いませんか。
よく、整形する人が次々に整形し続けるなんて聞きますよね。
心の中の「そのままの状態を受け入れられない」という自我の働きを
自分の身体やら他の人の振る舞いやらに投影し続けるからです。
私たちの自我は、
「もっとこうであったら・・・」
と
「これがこうでなければ・・・」
ということにとらわれて苦しいのでとにかく何かを違う状態にできれば
幸せになれると思っているんですね。
自我の声を聞いていたら、物事を「フィックス」するだけで人生は終わってしまいます。
決してゴールがない完璧な状態を追い求めさせられて
終わってしまうのです。
私たちの人生にはたくさんの選択肢があるように見えても
2通りの人生しかありません。
自我の声を聞いて、自分自身や周りの状態をより良くしようと幻想を追い求める人生。
と
自分の中の愛の声を聞いて、本当は自分が誰であったかを思い出しそれを生きる人生。
その2通りです。
世の中のほとんどの人は生まれてから、
自我の声を聞き、苦しい道のりを歩んできたと思います。
自我の道にもたくさんの選択肢があるように見えます。
けれど、ゴールは一緒です。
ほしいものは決して手には入らない。というゴールです。
自我のゴールは、もっと罪悪感や弱さ、不十分さを感じるというところがゴールです。
何かを実現しても、最後には罪悪感、自分の至らなさを感じるようできているのです。
これはよく振り返ってみると誰にでもわかることだと思います。
それなのに、自我の道を諦められないのは
まだ自分(自我)には少しはものごとを改善し、より良いものにできる力があると
どこかで信じ込んでしまっているからかもしれません。