自分の人生は100%自分の思い通りになります

変わりたくても変われない、人生変えようとしても変わらないのはなぜ?

未来をゆだねる

昨日はイベントがあり、かなり久しぶりに電車に乗った。

 

 

 

全体の解散はだいたい17:00頃と知らされており、

都心の大きな駅だったためラッシュにぶつかるのが嫌だな〜なんて

帰る前から考えてしまっていた。

 

 

 

16:30くらいになって、一人抜け出し

帰りの電車の時刻を調べたら、始発でよさそうな電車が見つかった。

でも、せっかくみんなに会いに来ているし

「ラッシュ時にでも座ってゆっくり帰りたい」なんて考えないで

ゆっくり遊んでいこうかな・・・と迷っていた。

 

 

 

ちょっと前の私だったら、何がなんでも空いている電車に乗って

並んででも始発で座って帰りたい!ラッシュなんて大嫌い!と思っていただろうし、

自由解散だし早めにここを出て帰ろう。そう思っていたはず。

 

 

 

でも、考え直してみた。

私はみんなとゆっくり話していたい。

そして、座ってゆっくり帰りたい。

どっちかを選ばないといけないと思っているのはなぜだろう。

この件、光にゆだねてみよう。

とにかく、今はみんなと最後まで楽しもう。

多少遅くなってたまにはラッシュでもいいか・・・なんて思い直した。

 

 

 

その後、席に戻り話をしながら時間は過ぎ「ああ、あの電車はもう無理だな・・・」

なんて思っていた。

それから少しして全体が終了する流れになった。

時計を見ると、やっぱりちょっと間に合わないかな・・・という時間だった。

それでも、のんびり一緒になった人と話をしながら駅に向かった。

 

 

 

駅に到着し、駅の時計を見たら、乗りたかった電車の発車時刻3分前だった。

ホームに向かうとかなりの人。

そして、乗りたかった電車はもちろんだけれど席は埋まり、立っている人もかなりいた。

適当なところを見つけて乗ろうとすると、なんと1席だけ空いていた。

周りの人は、立っているのになぜか一つの席だけ空いていた。

なぜか?

空いた席の隣のお婆さんが大声で電話で話していたから。

うるさくてみんな隣は遠慮したようだった・・・

 

 

 

私は構わずに、その一つの席に腰を落ち着かせた。

すると、おばあさんはその1分後に電話をやめた。

 

 

 

どこも空いていなくて、みんな立っていたのに

ちゃんと私の席は用意されていた。

みんなとも最後まで楽しみ、帰りはゆっくり座って帰れる。

何も妥協しなくてよかった。

一人ひとつの宇宙を生きているってこうゆうことだ!

本当にそう感じた。

こうした少しの体験を積み重ねて、本当に人は一つずつ自分の宇宙を持っていて

そこには他人の条件は関係なく、自分の望みがベースに進んでいく。

ということを理解していくのかもしれない。

 

 

 

以前、私のメンターもこの時刻は絶対に渋滞だといわれている道路を通る前に

「自分の心を平安に保とう」ただそれだけを思ってその道に車で出たら

渋滞に全く引っかからずにスムーズに通れた。という話をしていた。

この世のルールとか、過去の経験とか全く関係ないのだ。

心が平安なら、見る世界がイライラの渋滞のはずがない。

世界は心の投影なのだから・・・

 

 

 

こんなことをしたいけれど、自分がその条件を満たしていない。とか

お金がないとか、年齢がとか、経験がとか・・・

いろんなことを考えてしまうこともあるかもしれない。

でも、条件というのはなかったのだ。

 

それが自分の本当の願いであれば、

自分が教わってきたり経験してきた世の中のルールを楽に超えていく。

 

 

 

それがしたい?

それならできる。というのが真実。

 

 

 

それがしたくても、〜が足りないからできない。

という生き方はもう終わったし、終えていい。

 

 

 

私たちは何かしたいことがあると、

まず調べてその条件に合うよう自分で整えようとすることが多いと思う。

 

 

 

〜をしたいならまず何が必要なんだろう?と考えたり調べたりして

そして、その必要なものを自分で用意する。自分をメイクしようとする。

 

でも、考えたり、調べたりしているのはすでに過去の情報に過ぎない。

過去の情報に従って生きていると、新しいものは生まれてこない。

過去に従えば、未来は過去と同じだ。

 

 

 

未来をゆだねるというのは、いわば

過去ではなく、最前線に立つ光にすべてをゆだねるということ。

全知全能、なんでも「わたし」にとってのベストを知っている、高次の自己にお願いして

やっていただくということだ。

 

 

 

自我という「過去」に身体を使わせるのではなく、

光に自分の「身体」を使っていただくということ。

必要なもの、必要なこと、全て光が用意してくださる。

 

 

 

自我はきっとどこまで頑張っても本当の自分の持つ可能性の

100000000000000分の1くらいしか能力を発揮できない。

でも、光にゆだねたら思いもつかないようなことを次々に経験させてくれる。

 

 

 

自我の願いを光にお願いして実現してもらおうと思うなんてなんてもったいない!

無限の存在が、無限の存在らしく、無限を生きるということは

未来を光にゆだねるということしかないのだ。