自分の人生は100%自分の思い通りになります

変わりたくても変われない、人生変えようとしても変わらないのはなぜ?

貧乏なのは努力が足りないから?頑張りが足りないから?

 

多くの人の中にある、信念。

 

 

 

「貧乏なのは努力が足りないからだ」

「お金に困るのは頑張っていないからだ」

 

 

 

だから、自分は努力しないといけない。

怠けてはいけない。

そうやって、多くの人が自分で自分に鞭打ち続けているかもしれません。

たいていの人はお金を稼がなければ生きていけないと思うとくつろぐことができないのです。

 

 

 

若い時に自分はサボってしまったからとか、

受験の時に努力が足りなくて大学に受からなかったからとか。

 

 

 

何かがうまくいかないのは、手を抜いたから、自分の努力不足、頑張り不足

そんな思いが実は心の中にあったりするかもしれません。

 

 

 

そして、今度はその罪悪感が外側の何かに投影されて

政府が悪い、政治家が勝手だから、陰謀を企てている人間のせいだ、お金持ちたちは・・・

または、子供の頃親が教育を十分に受けさせてくれなかったとか・・・

 

 

 

そうやって、自分の努力不足を責めたり、不運を嘆いたりしている時

豊かさや愛のフィルムから、欠乏のフィルムを選択してしまっていることになります。

 

 

 

これはマインドがゲームを仕掛けてきているわけですが、

そういう思考パターンを使って、不足の世界のフィルムを回しているんですよね。

自分を責めたり、世界を責めたりしている間、

私たちは、豊かさの物語を紡ぐことができなくなってしまいます。

 

 

 

 

今一度思い出したいのは、

 

行動がこの世界に何かを創り出すということはなく、

心の思い、信念というフィルムが世界に映し出される

 

ということです。

 

 

 

だから、努力や頑張りが足りないから貧乏なわけではないし、

搾取する人たちがいるから、自分が貧乏なわけではないんですね。

 

 

 

自分が見ている世界は、自分が創った自分の世界です。

一人ずつ自分の宇宙を持っていると言ってもいいかもしれません。

ですから、自分のフィルムを書き換えられれば、

自分以外のキャストである他の人たちも、そのように動いてくれます。

 

 

 

自らの心がサバイバルモードに入って、

外側から得なければと思っていたり、外側から奪われないように自分を守らなければ・・・

と思っている時、まさに欠乏のフィルムを回し続けますし、

欠乏のフィルムの中のキャストたちの行動も自分から奪っていくような形に見えたり

相手から欲しいと思っている愛やサポートが得られないなど

くつろげず、緊張の絶えないストーリーになっていくはずです。

 

 

 

結局、自分がお金に困窮しているとすれば、

それは努力不足だからではなく(むしろ、本人的には頑張りすぎている感じがするはず)

お金のために我慢、努力しなければいけないという信念を持っているからです。

 

そのフィルムの中の主人公は、

ハムスターが回り続けている輪っかみたいなものの上に乗り続けて

ストレスにさらされ続けているような感覚かもしれません。

 

 

 

生き残れるかどうか、生き残りの不安からフィルムを回していけば

当然、そのようなストーリーを見ていくことになります。

 

 

 

よーく心を覗いてみると、

何かを失う恐怖だったり、何かが奪い去られる恐怖だったり

生き残れないかもという恐怖だったり、大切な家族は生活できるかとか恐怖を持っていると、

やはり、その恐怖、足りない、不十分だというストーリーを経験するし、

いつも恐怖を感じないように、走り続けて疲弊してしまうストーリーをみますね。

 

 

 

そうして、身体そのものは何も生み出さないにも関わらず

恐怖に駆り立てられて身体を使うことで、身体は病気になっていきます。

ですから、病気の原因は、厳密に言えば心の底にある恐怖、罪悪感です。