自分の人生は100%自分の思い通りになります

変わりたくても変われない、人生変えようとしても変わらないのはなぜ?

他の人からの嫉妬が怖い人必見!

私が長いこと、思い違いをしていたことがあった。

 

 

 

それが、

 

私の幸せ=みんなの幸せ だということ。

 

 

 

私は、自分の幸せは誰かが犠牲になることだと思い込んでいたようで

自分が幸せになってはいけないと思っていた。

 

 

 

自分が幸せになると、誰かが不幸になると思い込んでいたのだ。

 

 

 

まるで、この世の中のよきことには限りがあるよう。

 

 

 

冷静に考えてみたい。

 

自分が幸せになると誰かが不幸になる?

この信念は割と奥に隠されていて、なかなかそう信じていることすら認識できないかもしれない。

 

 

例えば、誰かに嫉妬されるのが怖い。という人。

 

 

 

自分が楽しいことをしたり、良いものを受け取ったり、成功すると

他人に嫉妬されるのが怖くて輝くことができない。

なんていう人。

 

 

 

そんな人は、もしかしたら小さな頃に

親が大変な思いをしているのをみてきた人に多いのかもしれない。

厳密にいうと、親が不幸そうにしていた、という人。

例えば、父親の浮気に母親が悩まされていた、お母さんかわいそう・・・

なんて思って育ってきたような人。

 

 

 

そんな人の多くは、自分は母親より幸せになってはいけないとか信じて生きてきて

それが大人になってからも、まずは他人を幸せにしてからじゃないと

自分は受け取れないと思って譲ってしまうような人だったりする。

 

 

 

実際に人生でも嫉妬される経験が多かったかもしれない。

 

 

 

それはなぜかといえば、自分が幸せになったり成功することに罪悪感があるから

実際に成功しそうになったり、いいものを手に入れた時罪悪感が生まれ、

(この辺りは無意識かで起こっているメカニズムなので気づかないかもしれない)

その罪悪感のエネルギーで他人に自分を攻撃させるということが起こる。

 

 

 

自分は幸せになってはいけない。

 

 

 

そうどこかで信じていて、幸せになることに罪悪感を持っていると

幸せにはなれない。

仮に成功しても、嫉妬だってされる。

 

 

 

でも、それは、自分が幸せになることで誰かが不幸になるという

誤った信念を持っているからだった。

 

 

 

自分が幸せになれば、この世界に幸せが増えていく。

そういう新しい本物の信念体系を選択する。

この辺は厳密にいうと、誤った信念体系を持っていることに気がつくことで

誤りに光を当てたので、それは消滅して真実に移り変わるという感覚かもしれない。

 

 

 

この幸せというのは、人から奪い取ってもいいとか、

何よりも自分が真っ先に手柄を取りに行きます。みたいなこととは違う。

ちなみに、上記に挙げたようなことをしてしまう人は

自分の不十分さや価値のなさを認識しており、怖れによって駆り立てられている人だ。

幸福からは程遠いい。

 

 

 

自分がまず幸せでいてもいい。というのは

もう自分を誰かや何かのために犠牲にしなくてもいいという意味だし

自分に我慢をさせなくてもいいという意味だ。

 

 

 

人の期待に応えるために生きなくていいし

お金のために嫌な仕事を我慢して続けなくてもいいという意味だ。

 

 

 

自分の喜びを自分で作り出すことができる人。

 

 

 

誰に遠慮する必要はなかった。

 

 

 

まず自分が幸せでいる。

そうすると、世界は鏡だから世界も幸せな場所になっていく。

 

 

 

実のところ、世界は私(あなた)の幸せを待っていたのだ。