「自分の思い」が実現するの意味
自分の思いが実現するというと、一瞬「願い」が実現すると
思い込んでしまう人もいるかもしれない。
「思い」というのは、いつも抱いている「思い」のこと。
お金が欲しいと思っている時、いつも抱いている思いとは、
私には「お金がない」という思い。
世の中は不公平だという思いかもしれない。
そんな不公平な世の中で自分は運が悪いという思いかもしれない。
自分にはたくさんのお金を稼ぐために
なんの取り柄もないという思いかもしれない。
思いが実現すると願望が実現するとは全く異なること。
何かを欲する願いとは、それがないという思い。
だから、強く欲することでそれを遠ざけてしまうことがよくある。
強く欲するものを手に入れる手段としては、
体を使ってなんとかそれを手に入れる、とか
テクニックや力づく、がむしゃらにやる、とか
が挙げられる。
そして、そうすることで一時的に実際にそれを手にしたように見える。
でも、誰もが知っているように、
そうやって手に入れたものが自分を永遠に満足させることはないし、
今度は、その頑張りをやめたらそれをそばに置いておくことはできない、
という苦しいジレンマにはまる。
つまり「無理して」なんとか手に入れたものは
手に入れた時の条件が無くなれば、
自分の元に滞在しなくなるということだ。
そして「無理して」手に入れたものは
今度は失うことがないようにと常に不安や焦りが絶えなかったりする。
お金がいい例かもしれない。
きっと、世の中のお金のために働く人の99%は本当に楽しい、
心から満足できると思える職業にはついていないかもしれない。
だから、みんな無理して、なんとか我慢して働いている。
そしてそのお金が無くならないように節約したり、
我慢したり、大変だ。
私は会社員に初めてなった時、会社を休みたくなかった。
会社がとても楽しみだった。毎日が楽しかった。
そんな時、楽しくてこんなにお金もらっていいんだ!と幸せな気持ちだった。
その時、お金の心配はしていなくて、
周りに助けてもらったり、とても豊かだった。
そのうち、そうではなくなってしまったのだけれど・・・
その後、派遣社員になった時は、1ヶ月過ぎた頃には
すでに休みの日のみが楽しみで、それまでは我慢して働くといった感じだった。
給料日と休日を餌に、自分をたきつけるしかなかった。
それに気がついた時に、こんなことは続かない。
そう思った。
お金は我慢して稼いでも生きているだけで減っていく。
嫌だけれど我慢しないと稼げないからと会社に通っていると、
自分の人生はどこに消えてしまったのかと感じる。
労働者は微々たるお金でなんとかやりくりして生きている。
こんなやり方で得しているのは、税金を徴収する国と
人々を働かせて私腹をこやしている企業だ。
ちょっとのお金しか支払われないから、毎日ずっと働き続けるしかない。
1ヶ月にたくさんのお金が手に入ったら
毎日働き続ける労働者はいなくなるだろう。
だから、最低ラインの賃金で誰かが調整してるんだろう。
話は少しそれてしまったけれど・・・
お金が欲しいと思っている時、実現するのは
大金持ちになっている未来ではなく、
お金のために働き続けるという未来なのかもしれない。