自分の人生は100%自分の思い通りになります

変わりたくても変われない、人生変えようとしても変わらないのはなぜ?

幸せを感じる方が自然

私たちは幸せになるには〜が必要だとか、〜でなければいけないというふうに

教えられて生きてきました。

〜があって幸せになれる。〜さえなければ幸せになれる。みたいに

考えてきたと思います。

 

 

 

素敵な人と結婚することが幸せだとか、お金をたくさん持つことが幸せだとか

幸せになるためには満たさなければいけない条件がたくさんあるかのように

思うようになりました。

 

 

 

けれど、本当は自分を縛っているあれこれから気持ちが解放されるだけで

幸せというのは自然に湧き上がってくるものだと感じています。

 

 

 

もっといえば、ハートが開いていること=幸せ なんですね。

怖れによってハートは閉じてしまいますが、

ハートが開くだけで、感謝や幸せが溢れてきます。

そして、逆説的ですが怖れが減少します。怖れを感じにくくなり

敏感さや傷つきやすさが激減します。

愛と怖れは共存できないからですね。

 

 

 

私は以前、初めて大勢の前で歌うという機会をいただいたことがありました。

歌を学びたてて全く上手くもなく、音程は外すし、歌自体は本当に下手だったのですが

その時、聞いてくださった方の多くが涙を流してくださりました。

そして、歌い終わった私の前には感謝を伝えにきてくださる方の行列ができました。

歌い終わった私も完全にハートが開ききり、

この世の全てに感謝したい気持ちでいっぱいでした。

ハートが完全に開くと、周りとの一体感、愛を感じます。

この多幸感でいっぱいの状態は大体3ヶ月ほど続きました。

 

 

 

この時に、お金をたくさん持っていたわけでもなく

無職でしたし、身の回りの条件は何も良いわけではなかったのです。

それでも、大きな幸せに満たされていました。

 

 

 

ハートを開く方法には瞑想などたくさんあると思います。

ハートが閉じていると、背中あたりに重みや痛みを感じる方もいるかもしれません。

ハートが開くと、背中の重さ、身体の重さがぱ〜っと消えて軽くなり

理由のない幸せな感覚が感じられると思います。(個人差あると思います)

 

 

 

ハートは「今」のみに意識が向いているときに開きやすいように感じます。

多幸感がやってくるとき、未来の心配や過去についての怒りや不満など

そうしたもについて考えが浮かびません。

幸せは今、ここにある。とよく言われていますが

自分が幸せになれるだろうと考えている条件が今全て整っているというよりも

それが全て整ったら得られると思っている幸せな感覚を何十倍にもした多幸感を

ハートが開いていれば誰でも今この場所で感じられるという意味かもしれません。

 

 

 

私たちはいつの頃からかしたくないことをしなければいけなくなりました。

例えば、気がつけば毎日、母と離れて同じ時間に幼稚園に行くとか、

定期試験とか、受験とか、仕事とか、支払いとか・・・

みんな何かに追われて、つまり重荷を背負って義務を背負って生きてきたのです。

人によってはここにいろんなものが加わっていると思います。

こんな自分では愛されないと、資格合格やダイエットの義務を自分に与えてきた人も

いるかもしれません。

世の中からも自分の怖れからもいろんな義務を自分に課して生きてきました。

 

 

 

〜がなければ幸せを感じられないのではなく、

〜がなければ幸せを感じられないと自分で思い込んで、それをゲットするために

奔走し続けているからこそいつも重荷を感じていて幸せを感じられないのかもしれません。