自分の人生は100%自分の思い通りになります

変わりたくても変われない、人生変えようとしても変わらないのはなぜ?

自分の中にある無限のパワーを呼び覚ますには

私たちの中には無限のパワーがある。

 

 

 

そんな風に聞いたことがある方も少なくないと思います。

 

 

 

私たちの中のパワーとは、もちろんですが

腕力でも、交渉能力でも、お金を稼ぐ能力でも、知識でも、スキルでも、

支配したりコントロールしたりする力ではありません。

 

 

 

私たちの中の本当のパワーとは「無条件の愛」といわれるものです。

 

 

 

この無条件の愛といわれるパワーこそが神であり、

あらゆるものを創り出す源です。

 

 

 

ですが、そのことに世の中のほとんどの人が気がついていないので、

パワーを外に求めて支配され、コントロールされて

自ら犠牲になってしまうのです。

 

 

 

私たちは、自分を安心させてくれるもの(例えば、お金や他の財産、親、友人)や

自分に価値があると感じさせてくれるもの(例えば、権力や地位、素敵なパートナー)や

自分に自信を感じさせてくれるもの(例えば、グル、お酒、ドラッグ)などに

自分を明け渡してしまっているのです。

 

 

 

わかりやすく一言で言うと、

自分の中に全ての源、神があるのにも関わらず

その神が自分の心の平安であり、完全性であり、叡智であり、豊かさであるにも関わらず、

その王座を、外側の何かに譲り渡しているのです。

 

 

 

自らの内側の神が座るべき席に、お金やらパートナーやら仕事やらを

指揮官として座らせ自分を支配させたりコントロールさせたりして

自ら無力感、弱さに苦しんでいるのです。

地球ではこれを何世紀も人はやってきたということです。

 

 

 

自分の内側に神を置くのではなく、

または自分を神の内に置くのではなく、

パワーの代わりになるものを置いて、自ら神と離れてしまったと

思ってしまっているんです。

 

 

 

本当は分離してはいないのですが、

神は不在だと思っているので、

もちろん、自分に自信もなければ安心もなく、本当はいつも怖いし

未来も不安なので、何かしらのパワーに頼るしかなくなります。

私たちの外側のお金や人間関係や健康などの問題の源は、

自分の内側にいつもある愛を忘れていることです。

そして、その代わりのものを外側に求め続けていることです。

内側を見ずに外の世界の問題に気を取られていることが問題なのです。

 

 

 

自分の中にある、もっと言えば、自分そのものの本当の感覚・・・

平和の感覚、自分は完全だと感じる感覚、そうした目に見えない感覚こそが神であり、

パワーなのですが、その欲しい感覚を得るために

外側に物、者を求めに行ってしまう。

または自分の安心を奪うように見える外側のものを排除しようと、

外に気を取られてしまう。

 

それは、内側の神とは繋がっていないという感覚から生まれている行為なので

内なる神とは一致しておらず、世界に問題を見てしまうのです。

 

 

 

自らの外側に何かを求めること=自分よりも外側の何かにパワーがある

そう思ってしまっているので、パワーを逃してしまい、

自分を弱きもの(不十分)とみて、そういう世界を創造します。

 

 

 

自分の中のパワーを呼び覚ますには、

本当にこうしたことが起きているのだということに

はっきりと気づくということ大切です。

 

 

 

そして、ここに在る神の力の方を感じたいと

光そのものにお願いすることが必要です。

 

外側の何かを欲しいと求めて祈るのではなく、

自分の中の力に目覚めていくことです。

エイブラハム流引き寄せの法則の肝!神の目で世界を見るとは?

前回は、エイブラハム流の引き寄せの法則の肝について

少し書いてみました。

 

 

 

エイブラハムはソースエネルギー(源、内なる神)と同じように感じて

同じように物事を見てください。

と話していました。

 

 

その愛と同じエネルギーを発しているときに

クリエイション(創造の力)が働くというのは納得ですね。

 

 

愛=神=創造

 

 

という図式が成り立ちます。

 

 

それでは、神の目で世界を見るとは、神のように考えるとはどんなことが

少しまとめてみたいと思います。

 

 

 

1 一つのものだけしか存在していない、愛のみが存在する

 

2 死はない、永遠だけがある

 

3 生きるために努力しなくてはならないというのは本当ではない

 

4 平和だけがある

 

5 全て同じ、対等、例外や排除はない

 

6 増えていく、伸びていく、繋がっていく

 

7 常に安全で守られている

 

8 時間は存在しない、過去と未来は存在せず、今だけがある

 

9 敵(悪)は存在していない

 

10  今の自分で完璧、良くなることも悪くなることもできない

 

11 誰からも批判されることはない、自分を批判しているのは自分だけ

 

12 欠けている部分はない、全てを持っている

 

13 自分の思考のみが全ての人に影響していく

 

 

 

自我でもって考えると、はあ??って思うものもたくさんありますね。

どれだけ自分が真実を捻じ曲げて

嘘を本当だと思い込んで生きてきたかがわかります。

 

 

 

私たちは、嘘を本当だと信じて、そしてその信じたことを見て

見たからにはそれが本当だと思い込んで生きてきました。

その結果が、この死と、苦しみと、病の欠乏の世界です。

間違ったことを信じて、神の思考から離れてみている世界です。

 

 

 

エイブラハムは、ソースエネルギーの見方と一致していない時、

不快な気分になり、それを引き寄せる。

と言います。

 

 

 

この一覧を見てみると、確かに普段自分が何かの心配をしていたり

誰かに腹を立てていたりする時、かなりずれた考え方をしているかがわかります。

 

 

 

私たちは神の目で世界を、他の人を見て

正気に戻らねばなりませんね。

エイブラハム流「引き寄せの法則」で最も重要なこと

引き寄せの法則」をご存知でしょうか?

 

 

 

2007年に「ザ・シークレット」という本が発売され

それ以来、日本でもたくさんの人たちに引き寄せの法則が知れ渡りました。

 

 

 

現在も引き寄せの系の本は売られ続けていますが、ブームは少し去り

段々と、自我の自分で目標設定(願望)するのではなく

それすら抱かずに恩寵によっていきましょう。のような流れになっているようです。

 

 

 

さて、このザ・シークレットですが、

なぜか自己啓発系の「思考は現実化する」とミックスされてしまっているのか、

 

「欲しいものが既に手に入ったとイメージし、その感情を感じていれば

欲しいものと同じ波動になるので欲しいものを引き寄せられる」

のように簡略化されています。

 

 

 

けれど、昨日、久しぶりにエイブラハムのDVDを見たのですが、

思ってきた話と全く異なることに驚きでした!

人間の脳というのは、自分の成熟度合いによって

受け取ることのできるものが変わってくるんですね。

 

 

 

エイブラハム流の引き寄せの法則で最も肝になっているのは・・・

 

 

引き寄せの法則は2つの波動に反応しており、それには

今の自分(自我)と自分の中の内なる神(ソースエネルギー)の2つがある。

 

私たちは、内なる神の波動に自分を合わせないといけない。

内なる神に合わせないと、エネルギーは分散されてしまう。

 

内なる神と異なる波動を自分が出してしまうと望まないものを引き寄せる。☜かなり重要

 

世の中を見る時に「本来の自分(内なる神)」が見るように

世界を見つめなければいけない。

 

そうすることで善良さと幸福の流れに調和できる。

 

真に求める物も、流れに沿って行けば見つかる。

 

 

 

ここまでの内容をエイブラハムが話していたんです。

欲しいものを引き寄せよう、というような話よりもずっと時間を割いて

本来の自分(内なる神)と調和することの重要性を述べていました。

 

 

本来の自分とは神です。

そして、神が見るように世界を見る、他の人を見るとは・・・

 

 

他の人や物事、出来事を判断したり批判しない。

受容している。

全てを同じように見ている。

 

 

という見方です。

 

 

エイブラハムの教えは、欲しいものを何でも引き寄せるための法則

というよりも、基盤は「内なる神と一致する」ことだったんです。

ここが肝。

 

 

 

引き寄せがうまくいかない時、

おそらくこのあたりのことがすっ飛ばされているはずです(笑)

 

 

 

アドヴァイタなどの教えでは

どうしたら起こる出来事に対してジャッジせずに見ることができるのか、

そうしたことを学ぶことができますが、

心の平安を手に入れた時に、奇跡的なことが起こる(引き寄せる)のは納得ですね。

 

 

 

随分昔に、私のメンターに奇跡のコース(アドヴァイタ)の教えと、

エイブラハムの引き寄せの法則どちらがいいのでしょう?と聞いたことがありました。

その時、メンターは「Same!(同じ)」とだけ答えました。

当時はえ???と思いましたが、昨日ようやく、ようやくわかりました。

悪いことを良い意味に捉えなおす必要はありません

引き寄せや自己啓発などの本を読んだことがある方は

悪いことを良い意味に捉え直すことでネガティブな影響を免れると

聞いたことがあるかもしれません。

 

 

 

それは、1つの物事には良い側面と悪い側面の

両方があるから、悪いと思ったことの良い方も見ることで

心がニュートラルになります。

といった考え方です。

 

 

 

けれど、これもコントロールといえないでしょうか。

自我でもって、悪いことを良いものと捉えようとする。

それも、コントロールではないでしょうか。

 

 

 

確かに、一つの物事には悪い面があればそれと同じだけ良い面もあり、

これはこの二元的な宇宙そのものの性質です。

けれど、どのようにポジティブだったか・・・

それに気がつくのは、後になってからです。

 

 

 

後になって、ああ、あれが・・・と気づくこともある。

それは捻り出して自分の思考や感情を無理やりコントロール

することではないのです。

 

 

 

わからないままいく。

全ての出来事は同じだから。

 

それがサレンダーです。信頼です。

 

 

 

このネガティブな出来事で嫌な感情になっている、

それをポジティブな意味を見つけて消そう!

それはコントロールです。

自分に無理を強いています。

 

 

 

これを自分に強いる人は、

悲しくて泣いている人に、笑ってと言ったりします。

いつも笑顔でいることが素晴らしい?悲しい時も?

 

それは自分に素直に生きていると言えるでしょうか?

自分に正直でいていいし、自分にまで嘘をつかないでいいんです。

 

 

 

ネガティブな人は嫌われる。

そんな風に言われますね。

不満たらたら、そんな人は嫌われる。だからポジティブは素晴らしい。

 

けれど、無理なポジティブというよりも、平和で安らいだ状態が

自分にとっても周りの人にとってもベストかもしれません。

 

でも、その状態になるために自分の頭(自我)で捉え直すのではなく

自分の中の光にその出来事を捧げる必要があります。

自我にはできないんです。

だから、愛にやってもらいます。

 

 

 

自分でやらなくていいんです。

全部は繋がっていて、一つです。万物は流転しています。

 

「陰極まれば陽に転じ、陽極まれば陰に転ず」

 

このちっぽけな自我にはそれが何であるかわからない。

でも、わからないままでいい。

光にはそれがわかっている。

その光が自分を導いている。

だから、自分で無理にポジティブになる必要はないんです。

 

 

たくさん持つことが素晴らしいという信念が自分を貧乏にしている

私たちの古い世界では、たくさんのものを所有することが

素晴らしいと思われてきました。

 

 

 

その代表といえば、お金です。

土地でも物件でも、高級品でもいろんなものをたくさん持つことが良いこと

そんな風に思ってきました。

 

 

 

それで、世界ではお金や領土、資源などをたくさん持つ方が良いことだと信じ

繰り返し戦争が行われてきたんですよね。

 

 

 

いかにたくさん持つか。

そのような考えを多くの人が持てば、他人から奪う、搾取する

という考えが湧いてきて当然です。

 

 

 

限りあるものを競争や戦い、策略によって勝ち取る。

それが古い世界のやり方でした。

 

 

 

ものをたくさん所有すること、「トロフィー」を集めること、

それが素晴らしいことと思われてきたからです。

たくさん所有すれば、安全で安心できる。

たくさん所有すれば、ないと思っていた自己価値があるように思われる。

そうした怖れに促されて所有することに明け暮れてきました。

 

 

 

 

けれど、そのような怖れに根ざしたやり方では

すでに世界は立ち行かなくなってきています。

 

さまざまな物の価格の高騰も、おかしな天候も

結局のところ、持ちきれないほど持ってもまだ足りないと思って

自然や他の人から搾取した結果起っているのではないでしょうか。

 

 

 

世界の多くの人は自分で自分の首を絞めているんです。

たくさん持つことが素晴らしいと信じこみ、奪い合い、争い、搾取する。

そうしたことを繰り返しているうちに

気がつけば自分が貧しくなっていく・・・

自分さえよければ。と近視眼的なことしか考えられないから

どんどん自分さえも苦しむ結果になっていく。

 

 

 

私たちは所有することこそ素晴らしい。

という考えを見直すところに来ています。

新しい世界に入るにはそれが不可欠なんですね。

 

 

 

そもそも、なぜ所有したかったのでしょうか。

物をたくさん持てば、何かが満たされると思っていたからですよね。

でも、物を持つことで満たされる感覚は一時的。

だからこそ次から次へと外側のものを求め続けてきました。

 

 

 

私たちはたくさんの物を持つことで感じる体験を求めていたのではないでしょうか。

 

 

 

安心や自分は人には劣っていないという感覚。

そうした感覚が本当に欲しかった物ではないでしょうか。

 

 

 

たくさんのお金が安心を与えてくれたでしょうか?

減っていくことが恐ろしかったり、

お金を貸してくれと言い寄ってくる人にうんざりしていたり、

たくさんお金を持つことが本当に安らぎを与えてくれたでしょうか。

 

 

 

私たちは、たくさん物を所有すれば問題は解決する。

欲しい物を持てば問題は解決する。

本当はそうではないことを痛いほどわかっているのではないでしょうか。

 

 

 

とりあえずまずはお金をたくさん持てば・・・

お金こそ万能の道具。

そんな風に自分をお金の奴隷にすることからやめなくてはいけないですね。

 

 

 

そして、自分が本当に満たされるにはどうしたらいいか?

たくさんのお金ではないことがわかりました。

 

私たちは、自分(自我)が欲しいと思っている物では満足できないことがわかりました。

 

 

 

私たちは、驚きや感動にあふれた人生を送りたいのではないでしょうか。

こんな体験が実はしたかったんだ!!!

そんな驚き、奇跡の人生が送りたいのではないでしょうか。

それこそが本当に生きることではないでしょうか。

 

 

 

どうしたらそんな人生が始まる?

 

 

 

本当ではないことを手放していくことで始まります。

自分をもっと良くしたいと思った時②

自分をもっと良くしたいと思った時①の続きです。

 

 

自分をもっと良くしたい。

ダメなところを直したい。

 

 

そして大切なことを思い出す必要があります。

そんな風に、この自分を良くせねばとか、ダメから変えなければと思っているのは

そもそも自我だということです。

 

 

そして、自我=怖れなので、自我の怖れからスタートするどんなことでも

結果は同じく怖れだということなんです。

 

 

 

小さな頃から生きてきている自分だと思っているその「自意識」が

思いつくこと、考えること、それは全部、怖れです。

どう見えても、自我=怖れなのです。

 

 

 

動機=結果 です。

 

 

 

つまり、自我のアイディア、自我から生まれる行動、その全ては

違うように見えて結局、全て同じところに行き着くのです。

 

弱さ、罪悪感、怒り、恨み、不十分さ、不完全さ、嘆き、苦しみ、後悔、欠乏・・・

そこに行き着きます。

 

 

 

なので、私たちは「自分でやりなさい」と教わってきたし

「自分で自分を良くするよう努力しなさい」とも教わってきましたが、

それは不可能だったということです。

 

 

 

だから、同じところをぐるぐる回って、

自分っていつも同じパターンじゃないか?って思ったりするんですね。

 

 

 

まず、この自我だと思っている自分には物事を根本的に「良くする」力は

一切ないということに本当に気がつく必要があります。

自我にはコントロールする力はもちろん、自制する力も、自分を幸せにする力も

何もなかったのです。

スピリチュアルな世界ではよく、サレンダーという言葉聞きますよね。

確か、布袋寅泰さんの曲にもあったと思いますが・・・

 

 

 

サレンダーというのは、自我には本当は何の力もなかったということに

気がつくということですよね。

 

 

 

自分をもっと良くしたいと思った時・・・

自分で、自分を何とかすることは無理なのです。

 

できることは、心の中の光(愛)に従って生きることです。

そうしていくうちに、自己否定という感覚が消えていくか、

本当に自分はこんな風に生きたかったという生き方をして満たされていきます。

 

 

 

変化は自分で起こすもの!の自己啓発の世界では言われてきましたが、

変化は好む好まないに関わらず自然に起きていることです。

変化は自分で起こすのではなく、起きてくるものなのです。

むしろ、変化は避けられない。

それを私たちは良く知っているのではないでしょうか。

自分をもっと良くしたいと思った時①

私たちは子供の頃から気がつけば自分をもっと良くしなさいと

言われてきました。

 

 

 

足りないところを指摘されて、

それを改善することに取り組んできました。

 

 

 

ここがダメ、ここがもっとこんな風になれば・・・

日々の振る舞いはもちろん、勉強や習字でも、楽器の演奏でも、絵画でも、部活でも・・・

学校だけではなく、家族の中でも、夫婦間でも、親子の間でも・・・

 

 

もっとこうなりなさい。

もっとこうなって。

そんな風に、他の人にも自分にも「より良くなること」を求めてきたと思います。

 

 

でも、一つが改善されたかと思いきや

また気になるところが出てきたりして・・・

エンドレスなんですよね。

 

 

なぜなら、問題を見つける自我の働きが弱まらない限り

問題は現れ続けるからです。

一人の人との問題が解決したかと思ったら

今度は別の人との問題は発生した・・・なんてしょっちゅうだと思いませんか。

 

 

 

よく、整形する人が次々に整形し続けるなんて聞きますよね。

心の中の「そのままの状態を受け入れられない」という自我の働きを

自分の身体やら他の人の振る舞いやらに投影し続けるからです。

 

 

 

私たちの自我は、

「もっとこうであったら・・・」

「これがこうでなければ・・・」

 

ということにとらわれて苦しいのでとにかく何かを違う状態にできれば

幸せになれると思っているんですね。

 

 

自我の声を聞いていたら、物事を「フィックス」するだけで人生は終わってしまいます。

決してゴールがない完璧な状態を追い求めさせられて

終わってしまうのです。

 

 

私たちの人生にはたくさんの選択肢があるように見えても

2通りの人生しかありません。

 

 

 

自我の声を聞いて、自分自身や周りの状態をより良くしようと幻想を追い求める人生。

 

 

自分の中の愛の声を聞いて、本当は自分が誰であったかを思い出しそれを生きる人生。

 

 

 

その2通りです。

 

 

 

世の中のほとんどの人は生まれてから、

自我の声を聞き、苦しい道のりを歩んできたと思います。

自我の道にもたくさんの選択肢があるように見えます。

けれど、ゴールは一緒です。

ほしいものは決して手には入らない。というゴールです。

自我のゴールは、もっと罪悪感や弱さ、不十分さを感じるというところがゴールです。

何かを実現しても、最後には罪悪感、自分の至らなさを感じるようできているのです。

 

 

 

これはよく振り返ってみると誰にでもわかることだと思います。

それなのに、自我の道を諦められないのは

まだ自分(自我)には少しはものごとを改善し、より良いものにできる力があると

どこかで信じ込んでしまっているからかもしれません。