自分の人生は100%自分の思い通りになります

変わりたくても変われない、人生変えようとしても変わらないのはなぜ?

私たちは自分の力で生きているわけではないことを思い出すと・・・

私たちは「生かされている」と聞いたことはありますか?

 

 

 

私は昔、細木数子さんやオーラの泉の江原さんや美輪さんたちが

「私たちは生かされている」

そんな風に話していたことを子供ながらに覚えています。

 

 

 

当時は全くピンときていなかったし

どんな意味で著名人の方々が話されていたのかはわかりませんが

確かに私たちは「生かされている」のだと今は思います。

 

 

 

生かされている=命を与えられている

 

という意味で私はそう感じています。

 

 

ちなみに「命」とは、身体のことではありません。

身体がたとえ滅びても永遠に続いていく「命」の方です。

 

 

 

昔、父の部下が亡くなった時に、身体がとても大きな人だったのですが

「魂が抜けてしまっているから身体が小さくなってた」なんて

父が話していたことがありました。

 

身体そのものはわたしたちではなく、

ほぼ炭素と水とういう物質でできている身体というものに吹き込まれている

生き生きしたエネルギーの方が「命」です。

 

 

 

それが私たちの本質であり、神です。愛です。

 

 

 

私たちはこの命を神と共有しているからこそ

罪がなく、気高く、完全であり、麗しく、偉大な存在なのです。

 

 

 

この命の力そのものが私たちなので

私たちはこの素晴らしさから離れたことなど一度もありませんでした。

今も、この素晴らしきものと共にあります。

 

 

 

そして、わたしたちを命あるものとしているのはこの命そのものなので

決して、決して、決して・・・自分の力で生きているわけではなかったのです。

 

 

もう一度書きます。

 

自分の力で生きているわけではないのです。

 

 

 

自分の力でこの命を維持してきてもいないし、維持できるわけもないのに

あたかも全て自分の力で生きてきたように思い込んできたし、

これからも自分でこの命を維持しなければいけない、ああ、どうしよう荷が重い・・・

と思っていたりするんです。

 

 

 

なぜなら、命そのものに目を向けるのではなく、

身体を命だと思い込んで、身体をなんとかしないといけないと思ってきたし、

命そのものではなく、身体が持つもの、身体が着る物、身体が住む場所、身体が獲得するもの

そうしたものに目を向けているからなんですよね。

 

 

 

生きることが大変で、辛くて、苦しくて、劣等感を感じたり、焦りを感じたりするのは

永遠の命、気高い命を自分だと思うのではなくて

生まれて、いつかは死ぬと思っている身体を自分だと思っていて

その身体の自分をなんとかしてあげなければ・・・と思っているからなんですよね。

 

 

 

私たちは身体が使えなくなったら

意識もろとも自らは消滅すると思っている方もいるかもしれませんが、

身体と命は別のものなので、私たちは消えません。

 

私は身体から意識が出たことがありますが、

身体の外側が自分で身体はその下を歩いていたことがあります。

今の身体に戻らなくなったら、いわゆる死という状態なのかもしれません。

 

 

 

命は、それそのものとして豊かさに溢れています。愛に溢れています。

創造性に溢れています。私たちが知りえる全て、それすら超えた全てを持っています。

その命が内側に存在しているので、

私たちはその命に全てをおこなってもらえば良かったんですね。

そして、ぜひ、これからはそうしませんか。

 

 

 

そのためには、もう自分でやらない。ということです。

私たちは自分で計画したり、欲しいものを決めてそれを手にしようと色々やってきました。

それは手に入ったでしょうか。

そしてそれを手に入れて幸せになったでしょうか。

もし、自分でやっても思ったように結果になっていないのならば・・・

 

そろそろ全てをお願いしてはいかがでしょうか。

限られた「自分」を使うよりも、無限の「自分」命にやってもらう方が

ずっと驚きと喜びに満ちた人生が待っていそうではないですか。